@article{oai:suzuka.repo.nii.ac.jp:00001509, author = {周, 国龍 and ZHOU, Guo long}, journal = {鈴鹿国際大学紀要Campana, Suzuka International University journal campana}, month = {Mar}, note = {可能表現を作るもとの動詞には動作主の存在と意志性が必要である。日本語の無意志自動詞述語文は一定の要件を満たせば結果可能表現と認められ、可能表現の一類とされる。しかし、無意志自動詞自身には意志性が顕在されないため、可能表現の形式である「れる」、「られる」を付けて、可能表現にはできない。表現全体の場面、文脈に現れる意志性で結果可能表現の意味を生じさせる。本稿は日本語の可能表現の一類とされながら、無意志自動詞は可能表現の形式にできないというギャップがあることを指摘した。中国語の「動詞+補語」構造という表現形式は可能表現の形式であり、可能の意味も有する。同じく可能の意味を有しているが、日本語と中国語は表現形式においてはずれが生じているわけである。このずれが学習者の誤用をもたらす原因であることを明らかにした。, 10, KJ00010082679, 論文}, pages = {129--137}, title = {ケッカ カノウ ヒョウゲン ニ ツイテ}, volume = {21}, year = {2015}, yomi = {シュウ, コクリュウ} }